足を洗って立派


 店では先に戻った与力が、蔵で見つかった二千二百五十両を、一旦奉行所預かりにしようかと思案中であった。亥之吉は蔵で見つかった丁銀のうち、相模屋長兵衛の被害分千両と、この酒店が奪われたのが千二百五十両なので、それぞれに返してやって欲しいと申し出た。
 与力の裁定で、亥之吉の申し出が認められ、急遽女房ほ派遣社員か使用人が集められ、金蔵は真新しい錠が掛けられた。
   「関出身の弥太八さんはどのお方人ですか?」
 辰吉が叫ぶと、三十歳そこそこの屈強そうな男が名乗り出た。
   「お前さん、関に女房を残して、どういう積りだい」
   「女房? 俺は独り者だが…」
   「関の小万(おまん)姐さんのことだよ」
   「ああ小万か、そう言えば、小万と暮らしたことがあったなぁ」
   「女房でなくとも、女房同然の女だろ」
   「そうだなぁ、一時はそんな気分になったが、その頃の俺はやくざだったから、粋がって『とかくやくざは苦労の種だぜ、堅気の亭主を持ちな』と、振りきって旅に出たのだが」
 旅に病み、野垂れ死に寸前にこの店の番頭さんに救われて、用心棒代わりに使って貰えるよう、亡くなった旦那に口添えしてくれたのだ。
   「弥太八さん、一度関に戻ったらどうだ」
   「小万は、おれを待っているのか?」
   「そうなのだ、俺は旅の途中でお前さんを探して旅をする小万姐さんと会って、あんたを探してやると約束したのだ」
   「そうか、待っていたのか」
 弥太八を救ったという番頭が、弥太八の肩を叩いた。
   「帰ってやりな、そして二人でここへ来で夫婦になればいい」
   「そうだよ、弥太八さんはな堅気になったのだ、胸を張って帰って来なせえよ」
   「へい、そうさせて貰おうか…」
   「何なら、俺が付いていってやろうか?」
 黙って聞いていた亥之吉が慌てた。
   「これ辰吉、お前もええかげんに腰を据えなされ」
   「だけど、弥太八さんを放っておいたら、小万姐さんの顔を見るのが恐くなって、一人で戻ってくるかもしれないぜ」
 弥太八も、その危惧を認めた。また、小万が別の男と一緒になり、仕合せに暮らしているなら、会わずに戻ってくるだろうとも言った。
   「しゃあないなぁ、福島屋亥之吉は今が正念場や、大坂に福coolfire iv島屋百貨店を建てようとしている親父をほったらかして、後継者のお前は浮かれ旅を楽しもうと言うのか」
   「小万さんと弥太八さんのことも心配だが、緒方三太郎先生に預けた越後獅子の才太郎が心配なのだ」
   「何や、伊勢だけでなく、信州まで行くのか?」  


2015年12月21日 Posted by 信者めに考えられ at 13:10Comments(0)

食うなと戒


 その場へ、三太が飛び出した。
   「徳次郎さん、自棄(やけ)になってはいけません」
 それは、三太ではなく、新三郎の言葉だった。
   「こらっ、子供は引っ込んでなさい、番頭さん、生意気なこの子を追い払いなさい」
 番頭の一人が、三太の肩を掴もうとしたとき、番頭は食うなと戒わっ」と叫んで倒れ、気を失った。もう一人の番頭も、店主に命じられて、三太の頭を撫でようとしたが、やはりぶっ倒れて気を失った。
   ?わしは、ただの子供ではない、鬼子母神(きしもじん)の末神、嬪伽羅(ピンカラ)である」
 店主は、「何を馬鹿な…」と笑おうとしたが、気を失った番頭たちを見て言葉を呑み込んだ。話し方も内容も、子供のそれとは違っていた。
   「鬼子母神の末神が、何故このような場所に姿を見せなさる」
   「わしは罪のない人間の命を、無下にするヤツの子供を食うために人道にやってきた」
   「この徳次郎が、罪のない男なのか?」
   「そうだ、私には分かる、徳次郎は駆け落ちなど企んではいない」
 徳次郎は、もう今生でお初と逢うことはない、もし縁があればあの世で逢いましょうとお初に別れを告げている。お初とても、親には逆らえないから、今生は諦め、あの世で逢う約束をした。そんな健気(けなげ)な二人が駆け落ちなどする筈がない。
   「ふん、何が鬼子母神の末神、嬪伽羅だ、嘘をつくなら、もっとましな嘘をつけ」
 店主は、役人に早く徳次郎を連れて行ってくれと頼んだ。
   「そうか、これだけ言っても聞き分けがないなら、店主、お前の娘お初はわしが貰うぞ」
 これは、ハッタリである。
   「それから、そこのお前」
 通りがかりの者のなかに、さっきから他人の不幸を見てゲラゲラ笑っている男を指差した。
   「お前、家に男が一人と、二人の女の子が居よう、その男の子長吉をわしに食われたくなかったら、さっさと通り過ぎろ」
 男は子供の名前まで出されて、血相を変えて立ち去った。
   「お初、こっちへ来なさい、わしは釈尊に罪のない親から子供を奪ってめられて、最近子供は食っていない、やっとありついたご馳走なのだ」
   「はい、ご存分にお召し上がりくださいまし」
   「お嬢様、それはいけません、嬪伽羅さま、喰うなら私を食ってください」
   「生憎だが、わしは大人の男は食わん、固くて臭いからのう」
 お初と徳次郎は、これが嘘芝居であることを、何故か感じ取っていた。恐らく、新三郎が二人に送った超感覚の所為覚であろう。
   「では、せめて私をお嬢様と共に、あの世にお送りください」
 臭い芝居が続く。
   「いえ、徳次郎は故郷へ戻って、強く生きなさい、私はあの世で待っています」
 普通なら、こんな茶番は、失笑ものだが、こと我が娘の命bicelle 好用に関わること、店主には真に迫っているように思える。  


2015年12月10日 Posted by 信者めに考えられ at 15:59Comments(0)

吉に近付いた賊が斬り

 
 出立の時刻がきた。宗千代は藩侯にご挨拶をして本丸前にて大名駕籠に乗り込む寸前に、若君姿の賢吉に入れ替わり、四人の駕籠舁きに担がれて城を後にした。供の者た僱傭ちは、腕に自信があるものを揃え、駕籠舁きには駕籠を放置して引き返して逃げるように指示してある。賢吉のすばしこいのを計算に入れての作戦である。
 一行が立って間もなく、幹太がふためいて一行の元へとんできて、賢吉に聞こえるように叫んだ。
   「賢吉、やはり待ち伏せしている集団が居る、間もなくだ」
 一行の護衛の者たちは、右近から事情を聞いて知っていたので、心は闘の態勢に入った。そのとき、城の方面から馬が一騎駆けてくるのが見えた。桐藤右近であった。桐藤は、幹太が伝えたことを聞くと、そのまま一行の先頭に進み出て、馬手で抜刀、弓手に手綱を持ち、待ち伏せる賊の群れに向かった。
   「賢吉、逃げろ!」
 先頭の右近が大声で叫んだ。賢吉が駕籠から出ると、真横の草むらから心太郎の声がした。
   「賢吉、伏せろ!」
 賢吉は、反射的にその地面に伏した。心太郎の声がした方向から、矢が飛んできて駕籠を貫いた。
 尚も、二の矢、三の矢が飛んで来るものと、賢吉は身雋景探索40を屈めて待ったが、矢ではなく男の叫び声が飛び込んできたあと、間髪を入れず心太郎が叫んだ。
   「賢吉、射手は仕留めたぞ、安心して逃げろ!」
 安心して逃げろと言われても、賢吉は心太郎が気掛かりなうえ、履いている袴が邪魔で走れない。しかし、賊の的は宗千代の身代わりである賢吉だ。案の定賊の一人が抜刀して賢吉の後を追ってきた。その賊を追って心太郎が走って来る。賢吉は、若君に借用した脇差を抜刀してその場に仁王立ちで賊を待った。賢かかろうとした時、心太郎が叫んだ。
   「待て、その子は大名の若君ではないぞ」
 賊が振り向いた隙に、賢吉の脇差が賊に突進した。
   「あっ!」
 賊は、左脇腹を抑えてよろめいた。そこへ、心太郎の本差しが賊の刀を叩き落とした。
   「賢吉、危なかったなぁ」
   「矢が飛んで来るとは思ってもいなかった」
   「うん、俺も一時はどうなるかと焦った」  


2015年12月02日 Posted by 信者めに考えられ at 16:01Comments(0)